君の膵臓を別に食べなくてよかった話

 

読書をたくさんしようと決めたときに、まずはやっぱり流行ってる作品から読もうと思ったので、当面の目標として先日映画も公開された「君の膵臓を食べたい」を読むぞ!という気になってて、おととい読了致しました。ツイッターのタイムラインなんかで、みんながこぞって泣いた泣いたというので、私も清らかな気持ちで泣いちゃおうと思って、わざわざ本作を読む前に、ちょっともやもやした気分になろうと湊かなえさんの「リバース」を読んで、感動に備えていました(面白かったです)。言い方はあれですけど、なんと贅沢にもミステリーを踏み台にしていたのですね。

それでまあ例に漏れず前置きが長いんですけど、「君の膵臓を食べたい」について僭越ながら述べていきたいと思います。もしかするとネタバレになってしまうので、万が一読もうと思ってる方がいましたらご退室ください。

 

 

率直に言って私はこの作品を好きにはなれませんでした。別に泣かなかったし。最初の方で一気に冷めちゃって冷ややかな目で読んでしまいました。まず、なんていうか文調がキツイ。一人称視点で書かれてるんですけど、まあキツイ。完全にライトノベル。言い回しがめっちゃまどろっこしい。ライトノベルライトノベルで好きだけど、この本って小説じゃなかったの?あれ?みたいな気持ちになって、思ってたんと違う…となりました。なんてこった。この作品のライトノベル感は文体だけではなくて、主人公が大の小説好きなのに、人からの好意的な感情についてはめちゃくちゃ鈍感。もう面白くないを通り越して、イライラしました。あと登場人物が主人公のことを【地味なクラスメイト】とか【仲良し】というふうに名前を明らかにせず呼んでいるのですけど、これも最初の方はしんどくて、名前だしてくれ…と思いました。作者の意図があるのはわかるけど、慣れるまで時間がかかったし、巧く効果が出せているのかも私にはわかりませんでした…。なんでや…。

あとこれはかなり結末に影響のあるネタバレですけど、タイトルから察しがつくようにヒロインは膵臓の病気で余命いくばくもありません。そしてまあヒロインは最終的には死んでしまうんですけど、それは膵臓の病が原因ではなくて。衝撃的ではあったけど、いやここまでやってきて病の悪化じゃないんかよ、みたいな。そこはありきたりでよかった気が…。読了後、リバースよりもやもやしてしまった。

 

同世代の知り合いの子数人が感動したツイートをしてたけど、私は感動することができませんでした。だから私がおかしいのか?と思ってしまったけど、思想メモにもあったように、別に感じ方なんて人それぞれだし、流行っているからってそれが私にとって面白いとは限らない、と感じることができました。そういう意味では勉強になったし、本を買うときはちゃんと冒頭を読んでからにしようと思いました。

あとこういうふうにしてブログに感想を残すことをこれからも少しずつしようかなと思っています。書いてみて思ったけど、気に入らなかった作品は嫌なところが目につくからいっぱい書いてしまいそう。よかったと思う作品は「よかった」しか感想が残せないかもしれない。良い作品を褒める語彙を増やしたいと思いました。あくまで私の感じ方ですので、そのへんはご容赦ください。

 

それでは。

癖と疑問

入学して初めてのテストも残すところあと2日となりました。7月にひとつも記事を書いていないのはやばいと思い、書いている次第であります。バカ暑いですね夏。

さて、まあこの1ヶ月何を考えていたかというと、自分の癖のことですかね。私は喋る時の癖として、逆接をやたらに使うというのがあることに気づきました。皆さんもたくさん使うとは思うんですけど(←逆接)、なんだか自分は異様に使っているような気がして怖くなってきたんですね。逆接の女。あと譲歩もすごくする。〇〇は△△としても、やっぱり〜〜みたいなこと言いがち。多分これは自己の保身に関して過敏になってるからではないかと思い始めました。できるだけ傷つきたくないしできるだけ傷つけたくない。あまりにも保守的。思えば私は自分で言うのもなんですけど、石橋を叩いて叩いて叩いて渡る(場合によっては渡らない)タイプなので、性格が言動に現れていると思えば、ああそうかとなりますね。

あともうひとつ、これは癖ではないけど、私は述語のボキャブラリーが貧弱すぎることにも気づきました。今更って感じなんですけど、文をたくさん書いていると、途中はいい感じなのに最後の締めの述語でいつも困ってしまう。一文を長く書く癖があるからそれが祟っているという説もあるんですけど、なんせ締めで詰まる。詰まるし、結局ものすごくあほみたいな締めくくりになる。こういう言葉は本当にたくさんの文章から学ぶべきなんだろうなと思う。日本語は美しいけどやっぱり難しい。

 

そして疑問の方なんですけど、あの、はてなスターってどういう時に押せばいいんですかね。既読みたいな意味なのか、ツイッターでいういいねみたいな意味なのか、数はどういう気持ちで何個押せばいいのか、わからない……というのがブログ開設以来の疑問。でもなんかなんとなく押してもらえると嬉しいから、いいねみたいなものなんでしょうか。うーむ

あとこれはさっき思いついた疑問ですが、明日は母親の誕生日であります。記憶を遡ってみても、大したプレゼントをしたことがなくて、皆さんどうしているのだろうという疑問です。親や兄弟にプレゼントする人って素敵じゃないですか。大学生になったことだし、何かあげるのもいいなと思ったけど、アイデアのストックがてんでない。これもうーむと思ってることのひとつです。うーむ

 

以上!です。閲覧ありがとうございました。夏休みはもっと高頻度で更新できるようにしようと思います💪

それでは。

ニガイ、苦い

 

第二外国語、通称二外。大学に入って少し楽しみにしていた新しい言語学習。私はドイツ語を選択している。ドイツ語をとったのは、大好きなアニメ新世紀エヴァンゲリオン惣流アスカラングレーがドイツ語を話しているからという理由が大きいと思う(ちなみに入学直後に渡された新修外国語のパンフレットにもアスカが話していると書いていた。どんなパンフレットやねん)。

しかし、ドイツ語というのは少しやばい。簡単だと聞いていたけれど、まあまあやばい。使用文字はアルファベット+α(といってもしれてる)、発音は基本的にローマ字読みだからそれほど困らないんですけど、文法が結構ややこしい。

まず、動詞の活用が6つある。これは人称によって変わる。そして動詞は文の2番目にこなくてはならないという規則がある。それと、ヨーロッパの言語にはよくあるみたいで結構有名だと思いますが、名詞に男性、女性、中性、複数形の4つのグループがある。この概念は初めてで、名詞の意味のイメージから見分けられる、なんてものではない。たとえば、フォーク、スプーン、ナイフでは全部性別が違う。フォークはとげとげしているし男性?スプーンは丸っぽいし女性?ナイフもとがってるし男性かな?なんて考えていると、実はまったく違って、フォークは女性名詞、スプーンは男性名詞、ナイフは中性名詞なのだそうだ。もうそう決まっているものだからしかたない、理解の仕方はそんなもんらしい。複数形も、単数形にsをつけるだけではなくて、作り方が5つくらいある(何個だっけ)。また、定冠詞(類)と不定冠詞(類)があって、これもまた変化する。直後にくる名詞の性によって4つ、格によって4つの16パターンだ。格というのは、日本語の「は」「の」「に」「を」のことだ。前置詞にも格支配があって、前置詞ごとに後ろにくる名詞の格が決まっているのだ。きわめつけは形容詞で、形容詞+名詞で16パターン、定冠詞(類)+形容詞+名詞で16パターン、不定冠詞(類)+形容詞+名詞で16パターンの格変化がある。もちろんそれぞれ変化には規則性があるのだが、それを覚えるのがとても大変だ。例外もあったりするしで頭がパンクしてしまいそうである。

以前ドイツ語の授業中に先生が、英語が1番簡単な言語だと言っていたけど、すこしわかる気がした。ただ、私は英語がズタボロにダメなので、同時にこの先やっていけんのかよと思った。

では、私たちの、というかこの記事を読んでくださっている方のほとんどが普段話している日本語はどうか。よく考えてみれば、ドイツ語なんか比にならないくらい激ヤバの言語である。まず、使用文字は漢字、ひらがな、カタカナの3つある。発音は母音の数が5つしかないからそんなに難しくないのかな?そこはわからないですごめんなさい。ただイントネーションによって言葉の意味が変わってくるからそこは難しいのかも。動詞の活用は未然、連用、終止、連体、仮定、命令の6つ。それに五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用があり、更に音便が3つある。形容詞だけでなく形容動詞という概念もあるし、それにもそれぞれ活用がある。また、常体と敬体があり、使い分け方がドイツ語とは違う(ドイツ語にも一部敬体がある)。助動詞や助詞も考え出すと、解説するのがおっくうになってくるぐらいだ。そのくらいややこしい文法を、操っている(時には間違っているけれど)と考えると自分のことが恐ろしくなってきた。こわっ。日本語喋ったり書いたりしてる自分、こわっ。

しかし、あたりまえのことだが言語の難しさというのは相対的なものであって、絶対的には決められない。どの言語が難しいのかなんて、母語によるだろうし、人にもよると思う。

誰しも一度は、「日本語は世界で一番難しい言語だ」というのを聞いたことがあると思う。何かの文章で、日本語を母語とする人はこの「世界で一番難しい言語だ」というフレーズに自惚れているというのを読んだことがある。日本人が思うほど日本語は習得難でもないらしい。たしかに、外国の方はなぜか日本語の習得が早いように感じる。例えばスポーツ界を見ていてそう思う。モンゴル力士や、プロ野球の助っ人外国人などだ。彼らは助詞なんかもちゃんと使えていることが往往にしてあると思う。私はこの、日本人は日本語が難しいということに自惚れているという文章を読んだ時すごく衝撃を受けた。その通りやないか、、と思ってしまったのである。詳しい内容は忘れてしまったので、いずれまたあの評論文を発見して読みたいと思うほど、目からウロコだった。言葉って面白いなあ。

薄々気づいている方もいらっしゃるとは思うが、こちら完全にドイツ語文法の整理のための記事。そして日本語よりましだと言い聞かせている。でもドイツ語より日本語の方が難しいというアレはどこにもないよねってことですな。結局どっちもそれなりに難しい、この記事一つとったって、常体と敬体、口語が入り混じりに混じっているしな〜あと東北とか北海道とか沖縄とかの方言だって全然わからんし。ドイツ語にも方言があって、先生でも聞き取れないドイツ語があるらしい。言葉って面白いなあ(2回目)

そんなこんなで、終わります。見苦しい文章ですみません。閲覧ありがとうございました〜

大学のこと

私は勉強することがそこそこ好きだった。単純に知識が増えるのは楽しいし、何よりやればやるだけ伸びる。と、中学3年生まではそう思ってたんです。そして勉強すればきちんと点数に出る。みんなにすごいと褒められる。そうやって自尊心を保っていたかっただけかもしれません。世の中には天才と呼ばれる人がいて、でもそれはずっとその通りだと思ってました。今も思っています。天才というか、学習とその発展の才能に先天的に長けている人はいると思います(後天的にしろ、幼い頃に何かに恵まれたのだろうと思っている)。そして自分がそういう人間でないことも、小学生くらいの頃からわかっていました。だから、私は努力しなくちゃいけない。真面目に、丁寧に、やっていかなくちゃいけない。中学校入学前、チャレンジからくるダイレクトメールに入っていたおなじみの漫画の小冊子のストーリーを真に受けてかなりびびっていて、めちゃめちゃに勉強した結果、自分で言うのもあれなんですけど中学校3年間はかなり優秀な成績でして、見事に大阪でも指折りの進学校と名高い某公立高校に入学しました。私の努力は一応通用するんだ…これはもはや不断の努力は私の座右の銘だとうかうか浮かれていたわけなんですよ。ところがどっこい、進学校なだけあって周りの同級生はめっちゃ賢いし、私の何倍も努力している人が当たり前にいて、そしていわゆる天才という人たちもザラにいました。努力だけでは天才+同量以上の努力に勝てないの公式を提唱しつつまだこの程度の努力で通用すると思っていた私は完全にスタートダッシュ失敗組であり、最初のテスト以来3年間あまり成績が変わらないという凡人生徒となってしまったのです。いつかもっと努力していれば間に合ったかもしれないのに、ヘラヘラと過ごしていたわけなんですね。愚か。まあそれで3年になって大学受験について色々と考えるようになってかなり後悔したものです。

今の大学が嫌いなわけじゃない。でもベストかどうかわからない。本当はどこかでちゃんとエンジンをかけていたら国立の大学に行けたんじゃない?周りの子ももっと上いけるでしょって言ってくれたこともある。どうして頑張らなかったんだろう?私のレベルに合っているとか、家から近いとか、そうやって無理やりに今の大学にポジティブな意見を述べておいて、本当は現役で確実にいけそうだからって理由で選んだんじゃないの?浪人する勇気がなかっただけじゃないの?と、みみっちいことにかなり深刻に悩んでいました。周りで国立大学に進学した先輩や同期に引け目を感じるような人間になってしまいました。学歴コンプレックスというやつですね。本当にみみっちい。わかってるけど自己嫌悪が止まらないんですよね。どうして挑戦しなかったのだろうという後悔みたいな。こじらせた。こじらせたけど、もし国立の大学に合格して通っていたらどうなっているんだろう。また卑下して卑下して自己嫌悪する日々を繰り返していたのではないか。結局今の大学で学びという観点から言えばそこそこの滑り出しをしているんじゃないの?と延々と考えている。そして今までその時々で何も深く考えてこなかったことに気づいて、うんざりする。まあそれはそれであまりしんどくない生き方だったし、若さゆえにまだ許されたかなと思うけど、最近自分について考える時間が多くなって、今までの私って…ってなってる。

話が逸れている。まあそれで、なんやかんや大学にはちゃんと通っていまして、おもろないなと思うこともめっちゃあるし、何のために行ってるんやろうとも考えてしまうけど、不安定ながらも耐えています。本当に入学当初は友達もいなくてまじでつらくて胃袋が縮んでましたが、やっと安定してきたかなという感じです。大学に入って初めて気づいたけど、私って心を開くのがめちゃくちゃ遅いみたい。出会ってから別れるまでずっと喋っていられるような気楽で愉快な友達ができるまではかなり時間がかかりそう。今はとりあえず気の合いそうな子とはたくさん話すようにして、勉学に励もうと思っています。自分のことを見つめられるようにもなったし、それなりに将来のことも考えよう。

なんだかすごくまとまりのない記事になってしまった。カオス。カオスだから終わり!

名前について

 

前の記事で書いてないなと思ったので少し。

あの、前の記事で紹介させていただいた、このブログのきっかけとなったツイートというのをしたのは結構前で、その次の日ぐらいには始めてみようかな〜という気持ちはあって、行動にも移そうとしたんですよ。でも当時の私のiOSの環境が古くて(8ぐらいで生活してました)、はてなブログのアプリをインストールすることができませんでした。iOSのアップデートしなくちゃいけない、でもアップデートするのは面倒で、うだうだしたまま時が流れました。そしてようやくアップデートを済ませて清らかな気持ちでアプリをインストールしたんですけど、ブログを始めるにあたってIDや名前を決めなくちゃいけないとなった時に、何も考えてなかったことに気づきました。(ID後から変更できへんやんけ…)と思ったまま1週間ぐらい経って、このままではいけない、ことを進めていかないと貴重な10代はすぐに去ってしまう、急がなければ、と意を決しました。

で。結局そうなってくるともうなんでもいいや、というやけっぱちな気持ちになって、大学入学前に抱いていた目標というか、こうしようと思ったことを思い出したんです。というのは、人間関係において波風を立てずに穏やかに過ごすことを特技にすること。波風立てても良いことない、損するんだ、今までと全く違う環境に放り込まれるんだぞ、と当時の私は新たな環境に過度にびびってしまってそう思っていました。が、やっぱり違うことは違うって言いたくなるし、ここで私が波風立てなきゃ誰が立てるんだ?!気になることは気になるって言った方が得なんじゃない?!ああん?!という気持ちにもなって、結果的には周りにあまり迎合しないというか、まあありのままといえば言い過ぎですが、とにかく高校時代とさほど差のない自分でいくことにしました。波風って扱いが難しいのね。とりあえずこれ名前にして肝に命じておけ、って感じでこうなりました。私って本当に前置きが長くて説明が下手くそだな。それを矯正する意味でもブログを始めたわけですけども。

 

大学生活における話や疑問に思うことはまたおいおい書いてみたいなと思っています。

 

閲覧ありがとうございました。

 

はじめまして

 

なんて忌憚のないタイトルなんでしょう。はじめまして。波風です。ええと、どうしてブログを始めることになったかと言いますと、敬愛する高校の先輩がブログを始めていて、そこで結構色々と書き綴られていまして、漠然といいなあと思ったのと、少しおすすめされたからです。

私は、見栄のための謙虚とかではなく、本当に自分のことをつまらない人間だと思っていて、知識もないし、面白い話も出来ないし、文化的に底辺なので、めでたく大学生になり若干時間にゆとりが持てているので、本を読んでインプットをたくさんしようと思っていました。でもどうも伝えたいことってなかなかうまい言葉で伝えられない。そりゃ完璧に伝わるなんてことは言葉を媒介しているわけだし無理なんですけれども、せめて意図していることは伝えたいじゃないですか。あの人のあの表現よかったな、どうして私には出来ないんだろう、勉強しなきゃ。的なことをまとめたツイートをした時に、アウトプットも大事だよと言われて、そうだな〜と思って、そこでおすすめされたアウトプットの例のひとつがブログだったわけですね。まあそれでやってみよっかなって、ことです。長々書いてますけど結局ほとんど出来心です。

 

このブログは一応全員に公開という形をとってはいますが、ほとんど私の日記みたいなものになるだろうと思われます。人に見せて訴えかけるブログというよりは、自分の考えとか行動の整理のためのブログになるかなと思っています。続くかどうかもわかんないんですけど。何せ日記という習慣がないので、いつもは何かあったら140字以内にまとめて鳥に飛ばしてもらっている身だし、多分めちゃめちゃたどたどしくなるし細かいところで異様に長文になると思いますが、何卒よろしくお願いします。まあ誰も見てはいないと思いますが。半分くらいは自分に向けて書いています。公開制なので言葉選びには気をつけます、ぐらいの気持ちです。

 

とにかく、私にはまだまだ知らないことが多すぎる。自分のことを全然知らなくて、時々それがすごく怖くなる。自分を持っている人はどこで獲得したのだろう。それをちゃんと言葉にして、整理して、少しでも自分のことを知るためにここに残していきたいと思います。時々かなり気持ちの悪い記事になるかもしれませんが、ご了承ください。自己紹介が長い。長い割にあまりパーソナルデータを書いていない。19歳、女性、現在大阪の某大学1回生です。

 

あっあと私はせっかちなので下書きを入念にチェックして投稿、みたいなことはできないと思います。思いついたことそのままにして放出してしまうと思いますが、まあそんな時はどうぞご指摘ください。

 

それでは数少ない閲覧者の皆様、閲覧ありがとうございます。よろしくお願いします。