怠惰

 

どうも、お久しぶりです。波風です。いや本当に、本当に、お久しぶりです。

なぜ3ヶ月以上も放置していたかというと、自分の中でちょっと色々、あの、葛藤とかがあって(でもそれは杞憂でしたしなんなら先手取って少し勝ったというかなんというか)というのもあるんですけど、怠惰の感情があまりに強かったからというのが大きいですね。ハガレンでいうスロウスですね。あんまり通じないか。

怠惰というと、このブログの更新を全然していなかったこともそうなんですけど、後期がんばろうって言ってた勉強とか、読書とかに関してもそうなんですよね。本当に良くない。一体どうして私はこんなに怠惰な人間になってしまったんだろう?(もうブログの書き方忘れてる 口調が定まらん) 少し怠惰に過ごしていた3ヶ月を振り返ってみましょう。前の記事も振り返りやったけど

 

前回の記事から数日後、私は前期を無事フル単で終えることができました。よかったよかった。また9月の終わり頃、つまり夏休みの終わり頃には私の大好きな人と東京とディズニーリゾートへ旅行に行きました。これちゃんと記事にしようと思っていたのにサボりました。なんと愚かなことか。10月、後期に入ってからは前回の記事で番外編に登場していたお友達グループをフェードアウトし、別の、もっと話の合う友達と過ごすようになりました。後期からお友達になった子も2人ぐらいいるけど、その子たちとも仲良くなれてとても嬉しい。下宿している子の家にみんなで遊びに行ってピザを食べたり、ドラマ鑑賞をしたり、大学生っぽいこともしました。後期にしてようやく。大学での友人関係はかなり良くなりました。問題はその子たちがあまり授業に来なくてただただ私が寂しい日があるということぐらいですね。あと英検と漢検にも無事に合格しました。うーん、時系列がバラバラ。あ、バイトの研修期間も終えて、まあまあシフト組んでもらってます。給料日は毎月の楽しみになってます。月末締めなのに給料日が25日やからサイクル乗るまで結構つらいんですけど。あとユニゾンのライブに行ったら約4年間愛用していたiPhone5sが盗難に遭いました。もう返って来ることはほぼないのでiPhone7に買い換えました。買い換えたタイミングからようやく自分で携帯代を払うようになりました。自立の一歩。

とまあそんな感じですかね大筋は。そもそもこの3ヶ月が怠惰だったから取り立てて書くことがないんですよね。でまあその怠惰な理由というか、私がこうかなと思うのは、まずソシャゲにはまってしまったことですね。まさか私が、高校時代スマホゲームなんて全然やらなかった私が、(つまらない脱出ゲームを入れては消したり、ラブラ○ブを1週間でやめたりはしていましたが)パズドラにはまってしまうとは、かなりの誤算でした。いや、はまってもやることやってりゃいいんですけど、なんか取るもの手につかずというか、ゲームのことしか考えてない時間が存在したり、結構やばい感じになってしまいました。怖すぎる。大学生、時間だけはあるのでそういうことに溶かしてしまってうわああやってしまったああという感じです。でも楽しいんですよ、パズドラ。ちょっと付き合い方を考えていきます。

あともうひとつ、こたつとテレビなんですよ。なんか、しょうもないテレビ番組をこたつに入りながら延々と見てしまって、え、もうこんな時間、ということがほぼ毎日で、本当にだめな人間になっています。自分の節制は得意だったはずなのに、気づけば年賀状も進んでないし、レポートも進んでない。勉強なんてもっと進んでない。ダメ人間の見本すぎる。でも深夜になればなるほどバラエティって面白いんですよね。ずるい。

しかし、私がだらだらごろごろしている間に周りの人々はどんどん変わっていって成長していっていました。私が何もしていないその時間は、彼らにとって成長のための貴重な時間だったのです。私はお金より時間の方が大事と思っているので、もうなんかめちゃくちゃ怖くなっています。半分べそかいてます。怖いです。と思っているので、これを機にまたたくさんのことを考えて文字にしていこうと思います。思うことはたくさんあるので、それを自分の頭の中だけでふわっとさせるのではなく、どうにか言葉にする練習を、また始めたいと思います。だからまた見ていただけると嬉しいです。私も皆さんの言葉を見にいきます。

 

今回はほとんど推敲をせずに公開します。多分。これまでも別にあんまりしてないけど。それがこのブログの最初のことわりでもあったので。(言い訳)

では!閲覧ありがとうございました。ゆるゆると再スタートします。

前期振り返り

以前にも大学のことを記事にしたことはありますが、ここで前期のことを自分なりにまとめてみようかなと思います。時系列でまとめて、番外をくっつけようかな、はい。

 

4月

大学の学部のガイダンスのようなものがありました。実は、3月後半に学部の1回生の親睦を深めるための合宿があったのですが、予定もあったし、知らない人と2泊3日共にするのが無理すぎるし意味わからなさすぎて行ってませんでした。おかげでガイダンスが始まる前に既にグループができていて本当に焦った。というかグループ制度なんて久しぶりに見たからおののきました。私みたいな合宿不参加者はもう輪には入れないんだもの。おっかない。

入学式には、学部は違うけれど、同じ高校から同じ大学に進学した友達と行きました。その安心感たるや。

サークルにも所属せず、バイトも5月くらいから探そうと思い、環境に慣れることを優先しようと思っていました。

あと、履修登録の仕方が全然わからなくて、いきなり単位が不足してしまうんじゃないかと過度に心配してしんどかったです。無事に登録はできたし、成績はまだ出ていないけど、テストもちゃんと全科目受けました✌️

 

5月

GWには高校の軽音部のOBライブを見に行ったり、大好きな人と遊びに行ったり、地元の友達と遊びに行ったりと、大学で友達があまりできない反動でめちゃくちゃ遊びました。中旬には高校の軽音部の現役の子と一緒にライブに出たりしました。楽しかったなあ。

そしてもうこの月に、夏休みに免許を取る段取りをつけました。早め早めの行動。

それから、前から目をつけていた近所のスーパーにバイトをしたいと電話を入れたところ、もう応募は締め切っていると言われました。しかしなぜか面接だけしてもらえることになり、当然のように落ちました。

 

6月

まだバイトを探していました。応募してみるも、募集が終わっているとかでタイミングが悪く、そもそも8月は教習があって全然バイトに行けなくなるだろうから 、そういうの最初からわかってるんだったら今から応募して受かってもややこしいな〜と思い始め、9月からまた探そうと決意しました。

11日は、高校の一つ下の後輩の引退ライブを見に行きました。高校の軽音は私にとって最高の部活で、完璧に大好きな場所でした。後輩もとてもいい子ばっかりで、ライブもうまいし、まあ、一応初めのうちは私たちが育てたみたいなところもちょろっとはあるしで、感慨深いし、たいへん立派なライブでした。うむ。素晴らしい。

20日は、大好きなゴールデンボンバーのライブに行きました。受験後初めてのライブで、しかもボーカル鬼龍院さんのバースデーライブで、なんていうか最高オブ最高でした。ガンガンに遠かったし、上手が良かったのに下手だったから席運は最悪だったけれど。

 

7月

 前半は特に何もなかった、というかまあレポートをしていました。なんでも早め早めにこつこつやるタイプなので、みんなに結構驚かれたりしました。期限の決まっていることで焦るのが嫌いなだけなんですけど。

後半はひたすらテスト、テスト。実は2科目ぐらいやばい科目があって、しかも成績がでるのが他大学に比べてやたらに遅くて、不安に不安が重なります。大丈夫なのだろうか。ひたすらテストと言っておきながら、テスト中にちゃっかり天神祭には行きました。楽しかった。大好きな人と行くところはどこでも最高です。天神祭は少し特別ですが。

 

8月

前半の4日間くらいはテスト、その後待ちに待った夏休みがきました。ひゃっほー。まあ、そのうち16日間は自動車教習に明け暮れていましたが。教習所までは送迎バスが出ていましたが、バスの運転手の運転がめちゃめちゃ荒くて毎日命の危険を感じていました。運転手の方はインストラクターとは別の従業員で、時間がカツカツだというのもあるかもしれませんが、それにしたってあんな運転されたら困ります。何回代わってやろうと思ったことか。また、教習所に通う日々は、毎日同じことの繰り返しだったので少々鬱になりました。ほんとにね、短期のコースにしてなければサボってたかもしれないレベルで。だから友達と行くという人以外には短期での取得をおすすめします。笑

 

9月

教習が終わってからは結構遊び漬け、あと暇になりました。大学生の夏休みは長い。色々なことができるぞ〜〜と意気込んではいたけど、いざフリーになってしまうとリビングでだらだらすることが増えて、こりゃいかんなと思っているところです。来月英検と漢検を受けるのでその勉強を、本当にしなくちゃいけません。やばい。

あと、遅咲きながらアルバイトを始めました。5月の面接で落ちたところが緊急募集をしていたので応募して見事合格したわけですね。わーい。行きつけのスーパーのレジ打ちをしています。といっても研修中で、じっくり丁寧に教えていただいているのでまだお客様を相手にしていないし、お金も扱っていません。立ち仕事だし、覚えることもいっぱいで、大変ですが、頑張って働きます。学校からの帰り道にあるし、研修期間が終わればお給料の割もすごくいいので、人間関係にさえ問題なければ就職するまで働くかもしれないです。そのつもりでやるぞ🔥

 

番外編

大学でできたお友達、というか私が入った(?)お友達グループのリーダー格の子に少し難ありなんです。高校や地元の友達と遊ぶ時は私が必ずネタにするくらいの話です。兵庫の子で、自分のことを面白いと思っていて、周りがそれを助長するので調子にのってボケる子なんですけど、それが私にはちっとも面白くなくて。その、この子は面白いよね?みたいなノリとかが4月からしんどくて悩んでいます。私の話はあまりうけなくてその子の話ばかりがうけるのもちょっとしんどい、別に自分の方が面白いとかまでは思わないけど、その子、面白いか?と思いながら過ごすのに嫌気がさしています。周りも本当にうけてるっぽいし、私とそのグループの子たちの笑いのツボが違うだけだと思うんですけど、その笑いのツボが合わないというのが想像以上にしんどくて、大学に行くのもだるいな〜という感じです。誰も悪くないところがまた、ね。高校までの人間関係がものすごく良かったので、大学でさほど友人は、数多くはいらないかな〜と思っていたし、大学には勉強をしにいってるんだから人間関係で悩むの、私の中ではちょっと馬鹿馬鹿しい気もする。なので、後期からはフェードアウトしていくつもり、です。別の、気の合う友達がいるので、その子ともっと仲良くなれるようにしゃべっていこうと思っています。自分で結論を出せている!ここは自分を褒めておこう。

 

振り返りは、そんな感じです!後期はもっと日々の勉強を頑張ります。専門が増えるので難しくなるだろうし忙しくなるだろうけれど、わくわくもしています。がんばるぞ〜〜

 

インスタ映え

インスタ映え、もはや今年の流行語大賞の有力候補のひとつでしょうね。インスタ映えとは、SNS系アプリのInstagramでいいねをたくさん稼げるようなかわいらしい、あるいはおしゃれな写真を撮り、フィルターを付けたり加工したりしたのち画像をアップするための、まあそういう被写体のことだろうと認識しています。勝手に。多分そういうことですよね。ようするにInstagramで映えるものってことですよね。読んで字のごとく。うむ。

私はInstagramをやっていないし、多分今後もやることはないと思います。だからちょっとしたネタ心から「インスタ映え」と口にすることはあっても、実際にインスタ映えするものを撮ったり、それをアップするなんてことはありません。アプリがないから。で、そういうインスタ映えを求めてインスタを中心に生活する、主に若い私たち世代の人々のことを理解するのは私にとっては少し難しいけど、決して悪いことではないと思うんですよ。なんかこう、そういうことして何が楽しいの?と思う大人や、そんなことが何になるの?と馬鹿にする大人(同じ世代の人もかもですけど)をツイッターやテレビ番組で見かけることがあるんですけど、人には人の楽しみ方ってあると思うし、そういう馬鹿にするような発言は非常に失礼なことだと思います。だって別に迷惑かけてないし。考え方が違うだけの話でしょ?と思う。それに、案外社会にとってもいいことなのではないかとも思っています。インスタ映えするキラキラしたもの(景色ではなくて主に食べ物系のことを言っています)って結構いいお値段すると思うんですけど、それを撮ってインスタにあげるためにインスタグラマー(こう呼んでいいのか)はわざわざそのお金を払っている。それでインスタにアップされて、いいなと思った人がまたそのお店に行ってキラキラしたものを撮るためのお金を払う。個人的には、これで少しでも経済が回っていると考えたら、何のためになるの?みたいな意見は出なくていいと思うんですよ。高校の政経の先生が、経済の回りが良くないのは、お金を持っているはずのお年寄りがお金を貯めて使わないことと、それによって若い世代が貧乏だから余計にお金を使えないからだ、だから停滞するんだよ的なことを言っていたのを思い出すと、今若い世代がそういうところにお金を使うのはむしろいいことなんじゃないかなと思います。

あと、ちょっとインスタグラマーを馬鹿にするような発言をするような人に対して、あるイラストレーターの方が、ツイッターでそういうことしか言えない人はキラキラしているのが羨ましいからでしょ、変な嫉妬から楽しいことができないなんてかわいそうみたいなことを言っていたんですけど、私はそれも別にそうではないと思っています。かくいう私も、少し前まではインスタグラマーの人たち何なの?と思っていた側でしたが、羨ましいとかそういう気持ちはなかったです。そういう楽しみ方が私にはわからなくて、インスタを中心に生活して、常にインスタに支配されているように見える人たちに少し怯えていただけなんです。でも今は先述の通り、その人たちにはその人たちの楽しみ方があって、それを実践しているんだから素晴らしいじゃないかとすら思っています。むしろ過度にインスタを取り上げるメディアの方が煙たくなっています。笑

それと、この件もそうだし、他にも事例はあるけど、私「イマドキの若者」とか「イマドキのJK(もうJKではないけど)」とかって勝手に一括りにされるのがめっちゃ嫌いなんですよね。全員が全員インスタやってると思うな!全員が全員スタバの新作飲みに行ってると思うな!と思ってしまいます。だから平日のお昼時にやっているような、イマドキの〇〇と題して街ロケする安いバラエティのコーナーがあんまり好きじゃありません。〇〇には当てはまってるんだけど、そんな雑多な「みんな」と一緒にしないでくれ〜〜苦しい〜〜〜となってしまいます。未熟ですね、ハイ。

長々と書いてしまった!インスタから見る色々でした。以上!

昔からの疑問

昔、といっても幅は広いんですけど、日常生活でこれはどうなんだろうと気になっていること、それについての現時点での私の妥協点をいくつか。

 

まず、世の中の全てのものの元となる形は丸なのか四角なのか、すなわち丸みを帯びたものであるか角をもつものであるか、ということ。これは、結局丸なんじゃないか、いやいや四角なんじゃないかと考えがぐるぐるするところでした。たとえば、机の天板の部分は形として説明するときは四角形と説明することがあっても、実際その角は丸みを帯びていたりします。でも、その角をさらに拡大していって、粒子や電子にまで行き着いたとき、はたしてそれが丸いのか角があるのかはたぶん誰にもわかることではないですよね、だって粒子なんてほとんど概念であって誰も目で見たことないでしょ、じゃあどっちなんだ、丸か?!四角か?!みたいなことを延々と考えることがありました。今の私は、まあどっちもあるかもしれないかな、ぐらいです。全てのものの元が同じ形ではないと思うし、もうひとつの理由はあとで詳しく書こうと思いますが、そもそも丸と四角が何なのか突き詰めれば今の私にはわからないからです。わけわからん、後述します。

二つ目の疑問は、平面って面積を出せるじゃないですか、でもその面積を出すときに必要な区画のための線、あれってなんなのというものです。あの線は面積の内に入るのか、求めたい面積の外側なのか。私にとっては謎の線です。

三つ目の疑問は、先ほど後述すると言ってたことに近くて、完全な丸、完全な球、はたまた完全な四角(角のあるもの)とはなんなのかということです。コンパスで円を書けば、ぱっと見角のないきれいな丸が書かれたように見えます。でも、本当にそれは丸なのか。鉛筆の粉が飛び散っているし、実は線の集まりが重なりに重なって円に見えているだけかもしれない。逆に角のあるやつもそうで、三角形を書いたときに、角は尖っているけど、完全に尖っているかと言われたらもしかしたらそうじゃなくて、ちょっと丸いかもしれない。それはパソコンやスマホ、もっとすごい機械でやっても、結局どの結果になっているのか私にはわからない。完全な丸や完全な四角ってなんなんだろう。

他にも疑問はあるけど、今日はこのくらいで。で、こういうことをずっと不思議に考えていたわけないんですけど、高校生になってひとつ、こういうことかもしれないと思うことがありました。プラトンイデア論です。私はそれを授業で習ったときに、すげえ!こう考えればスッキリやん!と思いましたね。単純。めちゃくちゃおこがましいのですが、おそらく古代ギリシャの偉大な哲学者プラトンもおおよそこういう疑問を持っていて、イデア界の存在の提示をしたのではないだろうかと自分勝手に推測しています。イデア論とは、多分ざっくりいうと、イデア界という完全な世界にはイデアという概念が存在していて、円のイデア、三角形のイデア、なんかがあります。それを現象世界に表そうとしても、紙に鉛筆で書いた円や三角形は不完全であるというもの、みたいなことだと思います。つまり私たちが見ているこの世の全ては不完全で、完全なものは全てイデア界にあるというものです。これすごくないですか、イデアで物事考えたら私の疑問なんて吹っ飛ぶ……とすら考えました。そのくらい衝撃でした。プラトンは偉大。まあもちろんこのイデア論も別に完璧なわけではなくて、じゃあそのイデアを私たちはどこで獲得したんですか、生まれる前ですか、そんなわけない、だって犬を犬として認識するのはずいぶん成長してからでしょ、と思うし、イデア界に全ての概念が存在していたら古代からパソコンやらスマホやらの概念あったでしょ、という突っ込み方もできるわけですしね。完全な哲学こそ無いのかなとも思います。でもイデア論は私の人生において確実に大きな爪痕を残しました。大昔の人も現代の人も、疑問に思うことに大差は無いのかもなと思います。不思議ですね。

こんだけ書いといてあれですけど、もしこの疑問に対して合理的に回答できる方がいればご一報ください。ちょっと哲学で片付けてしまった感があれなので(いかんせんセンター試験以来数学にさえ手をつけていないド文系です)、理系的に説明できる方、また文系の方も別な視点から説明できる方がいたら聞いてみたいです。実はとっくに解決していた疑問だったら面白いですね。わはは。

あと根本的なことですけど、理系と文系にわけることはどないなんということも書いてみたいし討論してみたいですね。

終わります!

運転免許を取得した話

8/6から8/23にかけて、近所の教習所に通い、この夏の、ひいてはこの1年の大きな目標であった普通自動車の免許を取得しました。もちろんAT車で。MT車の免許持ってるのもかっこいいなと漠然と思っていましたが、日本車の9割以上がAT車なので早く取得できるこちらにしました。

合宿ではないものの、短期で取れるコースを選びました。こういう短期のコース通った方や免許合宿に行かれた方はだいたいそうだと思うのですが、1日目から車の運転席に乗り、所内を運転しました。私の家では両親はともに免許を持っていて、車に乗せてもらう機会も多くて、どういう操作をすれば車が動くかは知識としても経験としてもわかっているつもりでした。でも、いざ自分で運転席に座っておそるおそるブレーキペダルを離すと(はじめからアクセルを踏むなんて無理でした)、いわゆるクリープ現象で車が前進しはじめてめちゃくちゃ動揺しました。自分の右足一本の操作で巨大な鉄の塊が動いていると思うとすごく怖かったし不思議な気持ちになりました。そして何故かハンドル操作がめちゃめちゃに難しい。まっすぐ走れているのかわからず、ハンドルを思いっきり握りしめ、小刻みに動かしていました。こんなものを乗り回しているそのへんの人々のことを急に信じられなくなったし、運転なんか本当にできるようになるのか、かなり不安でした。アクセルなんか踏めるかバーカ、とも思いました。

でもまあ当然のことながら日数を減るにつれ運転には慣れていきました。それでも、車に乗る前はいつも恐怖に苛まれて、またあれに乗らなくちゃいけないのか(シンジみたい)、怖い、行きたくないと朝は結構ごねました。行くんですけど。行って車に乗ってしまえば、不思議と乗りたくない、無理、という気持ちは消えて、いつのまにかアクセルを踏めるようになって、右左折もできる、クランクもS字もいける、坂道発進も大丈夫だ、となって時間が来ればインストラクターの人におつかれさまと言われ、ありがとうございましたと返し、家に帰れるようになりました(学科がある日は学科も受けて帰りました)。でも家に着くとまたあの恐怖が襲ってきて、どうして私はあれに乗って上機嫌で運転していたのだろう、恐ろしいと思う日が続きました。特に仮免を取って路上教習になった時は酷かったです。国道26号線を走っていた自分を信じられない。高速教習だって本当にやったのか?と思うほどでした。

そういう恐怖と闘いつつも運良く(?)検定にも一発で合格して、免許証をいただいたわけなんですけれども、ここからが本番かなと思っています。当たり前ですけど、もう助手席に教官は乗っていないし、助手席にフットブレーキがあるわけではありません。教習車とはメーカーの違う家の車に乗ることには、なんだか教習の時よりもとてつもなく重い責任を感じてしまいます。先日一度助手席に母親を乗せて(余談ですが、母親は30年間無事故無違反のゴールド免許保持者です、ペーパーじゃなくてほぼ毎日車を運転していて、ですよ。すごい)運転する機会があったのですが、教習車と全然違うやんけ!怖!と思いました。検定の時の教官に、この中で1番くらいに上手いと褒められたのに、褒めるところのない運転をしてしまった、恥ずかしい。まだまだこれからだし、そのこれからが大変なんだろうなと身にしみました。

でもその、ことあるごとに感じた恐怖は、運転するにあたってかなり重要だとも思います。運転することに恐怖を覚えなくなったら、自分勝手な運転になったり、場合によっては事故を起こしたりしてしまうかもしれません。百歩譲って自分の車だけが傷つく事故ならまだしも、物損事故や人身事故なんて、たとえ自車が悪くないとしても取り返しのつかないことになってしまいます。だから、恐怖を乗り越えて運転するというより、恐怖を常に片手に携えて運転しよう、と思いました。決意ブログ。怖いと思う気持ちが薄れてしまわないようにブログにしました。啓発ではないです、笑

 

書きたいことが少し溜まってきている!怠けずに更新していきたいと思います。まとまりが全然よくないけど、終わります!以上!

自己嫌悪のやつ

自己嫌悪のやつに陥ってます。波風です。この記事ひたすらうだうだしてます。

自己嫌悪のやつとは、要するに自分大嫌い嫌い嫌い期みたいなやつですね。私にとってはなんら珍しいやつではないし、もしかしたら皆さんの中にもそういう期間がくる人がいるかもしれないのですが、今、なう、それ、というかんじです。19歳の誕生日を迎えた頃に、ツイッターで高らかに19歳の目標は自分を好きになることですと宣言してしまったのですが、まったく達成されていない。つらい。まあその目標には続きがあって、そのための努力を惜しまないということだったのですが、惜しんでいる部分もあるのではないでしょうか、そりゃ嫌いなままになりますよね、という話なんですけれども。でも、自分のことを好きになるための努力とはなんなのか。私の場合は多分、何事にも手を抜かないで最後まできっちりやる、ということです。手を抜かないで、ときっちり、の基準はまあまあ厳しめなので、だからまったく達成されないんですかね。でもまだまだだめです。じゃあやれよ、と言われれば本当にその通りです。やれよ私。

で、どうして今自己嫌悪のやつになってるかというのは自分の中ではある程度はっきりしてて、でも結構というか全然どうしようもないことなので時が過ぎるのを待つばかりです。端的にいうと何をやっても1番になれない自分のことがむちゃくちゃ嫌いなんですよね。そりゃだいたいの人間そうかとは思うんですけど、どこの界隈でも1番になれないのは私にとって結構苦痛で、だからどうってわけではないけど、そういうことをまざまざと見せつけられるとウジウジしてこの魔の期間に突入してしまうのです。この場合の1番、というのは相対的に周りより秀でる、という意味もあるけど、他人とは違う良いところを持つという意味でもあります。(周りより秀でて1番ということはほとんど経験したことがありません。そこまで傲慢ではありません。)他人の良いところは見つけられるのに、自分の良いところはわからないし、悪いところばかり見てしまう。てなことをぽろっと人に話すと、「波風さんはこういうところがいいよ」とか励ましてもらったりするんですけど、そういうことではないと思ってしまうし、また人に気を使わせた弱い人間…ゴミ…と思ってしまうので、その励ましは嬉しいしありがたいけど、結構双方に微妙な感情を抱かせてしまうと思うんですね。なんか、他人との距離の取り方が下手というか、どこまで頼っていいのかあんまりわかってないんですよね。迷惑かけてるんじゃないか、嫌われるんじゃないかと思って、頼るタイミングを見失ってしまうし、頼り方の加減がわからない。

 でも、私の性質でちょっと救われることもあって、まあその性質というのが、だいたいのことは時間が解決してくれると考えてる部分があるということです。この考え方って場合によっては最低なんですけど、嫌なことも時間が薄めてくれるので、根に持つことがないんですよ。だから今しんどくても、時間がたったら今のことは忘れてる。多分根に持つタイプだったらもっとヤバかった。もう泣いてる、あの時もこの時も…と。でも嫌なことがフラッシュバックすることがないからちょっとは楽ですね。ベースはネガティヴ思考にしても、過ぎれば忘れてるし。まあこういうこと書くとまた考え方が変わりそうで怖いけど(笑)

ネガティヴでいいことはあんまりない。基本的にしんどい。しんどいアピールをすることは好きじゃないけど、今みたいに落ち込む期間になるとうわーつらいーとなる。誰にもどうしようもないんですけど。できることが少ないと悲しいことばかりですね。他人の良いところばっかりに目がいって、私なんか、私なんか…ってなる癖が直らない。過剰な比較意識がいけないとわかってるけど、なにぶん未熟な人間なので、ほとんどの場合、いまだに他人と比べることでしか自分を評価することができません。大学生にもなって。心の貧しい人間……。

早く精神的に大人になりたいですね。思ってるだけじゃ無理だとは思うけど、実年齢相応の精神年齢になりたい。まあ、とりあえずやることきっちり納得するまでやる、ですね。ちょっと今しか書けないなと思ったので勢いでだらだら書きました。ごめんなさい。おわり!

恥を知れ!しかるのち死ね!

夜は短し歩けよ乙女を読みました。ちょっと、タイトルとリンクしてる部分が少ないようにも思えましたが、なんというかバズってた割に可もなく不可もない本だと感じました。結構、いつ面白くなるのかな、いつ面白くなるのかな、がずっと続いて、私は最後の数ページは好きだったんですけど、それにしたってちょっとパンチが足りないかな〜みたいな。多分、私が京都の大学に通っていたならもうちょっと面白かったのではなかろうかと思っています。バズってたのは京都の若者の影響なのではないかとすら思っています。あと、思ってたよりファンタジー要素があってびっくりしました。フィクションではあるけど現実でありえないようなことは起きない感じで進んでいくと思ってたので心底驚きました。鯉が空飛んだり、人間が宙に浮いたり。不可思議。うーん、やっぱり自分の目で確かめないとわからないことって多いですね。ここのところ買った小説2連続で当たりが出なかったのはちょっと残念ですな。。

あ、夜つながりでいえば、夜のピクニックはすごく好きでした。こちらの方が夜に歩いてました。いや別に夜に歩く本が好きなわけではないですけど。なんか、すごく大きな事件があるとかそういう感じではないけれど、高校生の微妙な感情というか、そういうのが嫌味なく表現されていて、どんどん読みたくなる本でした。あと個人的には、主人公たちが通っている高校が自分の通っている高校に似ているから話に入っていきやすかったです。これは今後も何回も読みたいなと思わされました。私は好き。

みなさんのおすすめの小説も聞いてみたいです。近代文学も好きです。