お酒について

 この記事8月にタイトルだけ書いてた。20歳になるまでに書いておきたいので書きます。

 私は現在19歳、あと2ヶ月足らずで20歳になります。言わずもがな、20歳になると飲酒が合法になり、お酒を飲むことができるようになります。お酒について今の私が思うことを書いてみたいと思います。

 

 大学生にとってお酒を飲む場は、例えばサークルでの飲み会や、仲のいい友達や恋人と家や居酒屋で、あるいは家で家族と、または一人で、とシチュエーションは数多あることでしょう。私はサークルには所属していませんが、これは飲み会に参加したくないからというのが大きな原因の一つでした。なんか、大して仲の良くない多くの人たちと高い料金を払って騒いで飲むみたいなのを想像するのが本当に無理で、お金と時間の無駄では……と思ってしまうのです。

 もちろん、仲のいい友達数人と楽しく飲むのは全然いいと思うのですが、あんまり大人数だと楽しいの範疇を超えて、よく聞く強制イッキとか、お酌の気配りとか、あるいはもっと犯罪じみたことの可能性が高まるような気がするのです。高校生まであまりに健全に生きてきたものですから、これが偏見であるというのはわかるのですが、報道されるようなことってやっぱり怖いんですよね。飲み会は胡散臭いものだと勝手に思っています。だから行きたくない。

 

 それと、酔っ払った大人が死ぬほど嫌い。家ではお酒を飲む人がいないけど、親戚で集まって食事をする時なんかで見る酔った祖父の言動があまり好きじゃない。そこまでひどい酔い方をするわけではないし、私に対してひどいことを言うとかではまったくないんですけど、なんか面倒くさいんですよね。テレビとかで見るベロベロの人たちもまじで無理で、あんな人近くにいたら嫌だろうなとすごく思います。もっと節度を持って欲しいですね。ベロベロの人は外を歩かないで欲しい。危ないし。

 

 それに何より、私は最近「お酒を飲む」ということ自体にものすごく恐怖をおぼえるようになりました。今まで一滴も飲んだことがない、とは言い切れない(小学生の頃いとことふざけてカクテルチューハイを舐めたり、ここ2、3年お正月のお屠蘇を雀の涙ほど飲んだり、彼氏のおうちでお酒じゃないみたいなアルコールを提供されたり)けれど、20歳になって、自分の意思でお酒を飲むということがなんとなく受け入れがたいのです。今までの少しばかりのアルコール摂取が自分の意思じゃなかったわけではないけど、なんか不意に怖くなったのです。今まで法律で禁止されていた(なんと未成年者飲酒禁止法第1条第1項には満20歳未満の飲酒を禁じると書いてある!罰則より先に!)ことを、急に許可されることにとても違和感を感じるのです。20年間生きてきた、たったそれだけのことで大人と認められてしまうのか。たぶんこの法律ができた背景には、成長期を終えていない身体では肝臓のアルコール分解能力が不十分で〜〜みたいな背景があると思うのですが、別に成熟したからってお酒が身体にとっていいものであるとは思えないし、なんとなく、お酒は毒じゃないのか?という意識が成人前までに形成されてきているので「お酒を飲む」という行為自体がすごく怖い。今の私はね。もちろん成人した人がお酒を飲むことは法的に許されたことだし、お酒が好きな人がいるのもわかる。でもいざ自分がそちら側になることを考えると怖くなってしまうのです。まだ子供でいたい。

 第一まだ私は実年齢に精神が全然追いついていない。これはお酒の話とは関係ないけど、私は20年生きてきた(まだもう少し先の話だけど)気もしないし、とうてい「大人」と呼ばれていいような人間じゃないと思うのです。私の「大人」のイメージは、もっと寛容で包容力があって、自分の感情を自分でコントロールできるような「かっこいい」もので、それには私はまるで及ばない。お酒を怖がるのと同じで大人になることがすごく怖いのです。

  でも「大人」になる努力はします。もっと懐の広い人間になりたい。口の悪さも直したいし、新しいものを訝しがるのもやめたい。

 

 あと少しで成人するにつけ、お酒との付き合い方はどうなるかわからないけど、まずあんまり飲まないでしょうね。怖いのもあるし、だいたい我が家にお酒を飲む習慣がないからたぶん今までと変わらずに生活することになるでしょう。私はソフトドリンクで大満足できるタイプの人間です。みなさんも、お酒はほどほどに、ですよ。

はてなブログを使いこなせていない話

 

 ブログを開設してから8ヶ月くらい経ちますが、このブログのシステムをいまいち使いこなせていないような気がします。私に機械音痴の気があるからというのも理由の一つかもしれませんが、しばし雑談にお付き合いください。

 

 まず、読者数の話を始めましょう。ありがたいことにこんな稚拙なブログにも現在5人の読者様がいらっしゃいます。登録ありがとうございます。というかつい最近までは4人でして、その4人も私とリアルの世界で懇意にさせていただいている方々でした。それはそれでとてもありがたいことなんですけど(まじで思ってます。ありがとうございます)、なんのためにブログを始めたのかということを考えると、顔も素性も知らない読者様が欲しいなと欲が出てきてしまったのです。

 もちろんただ読者数を増やして有名になろうちぇけらー的なことは思っていなくて、その、知り合いの方しか見ていないという状況ではそのつもりがなくてもどこか「手抜き」の文章になってしまうのではないかと懸念しているのです。思えば最近の記事は特に拙いものだったことかと思います。今の私には「知らない人に見られている」という実感が少し欲しいのです。これは完全にわがまま。

 

 で、はてなブログを使いこなせてないなーと思う話に戻るんですけど、このアプリ内では読者登録していない色々な人のブログを探して読み漁ることが結構難しいんじゃないかなと思っています。「探す」という項目があると思うんですけど、そこに出てくるブログには数に限りがあるし、必ずしも私のニーズに合ったものではないと思います。どういう基準であのブログたちが上がってくるのか全然知らないんですけど。そういえば昔アメ◯バでブログを運営していた時はそういう煩わしさはなかったかなと思います。あれはちょっとゴテゴテしすぎだとも思いますが、人のことは割と探しやすかった気がします。私が見つけてないだけだったらめちゃくちゃ恥ずかしいけど、このアプリ内では検索機能が無い……?ログインした状態で検索してすぐに読者登録したいのに、サーチ機能が見当たりません。ということで私も好みのブログを探すのに時間がかかってしまいます。

 私のような無名ブログに読者様を増やしたり、私が好みのブログ主様を読者登録しづらいと思っていたりする悩みを解決する方法のひとつには「シェア」という手があると思います。私には今のところシェアの方法がツイッターしかないんですけど、リアルアカウントでシェアするのは死ぬほど恥ずかしいし、かと言って別アカウントを作成してってそこまでしてしまうとなんかブログの趣旨から外れてしまうしで、もうどん詰まりです。もっと気をひく記事を書くべきなのでしょうか。でも媚びてると思われるのも違うし、私のブログの目的とは違ってくるので難しいところです。そう、何を隠そうこのブログには他人に有益な情報は何一つないのです。私の日常や思考を整理するための自己満ブログなのです(だから広めるとかおこがましいことはできない……)。何か作戦があれば教えてください。

 

  つまり何が言いたかったかというと、今私は「私のことを知らない人に見られている」という実感によってもう少し気を引き締めていきたいのです。丁寧に構成してきれいな文章でないから読者様が増えないのか、読者様が増えないから無意識のうちに丁寧でなくなっているのか(にわとりと卵どっちが先か的な)。まあ前者である蓋然性が高いことを意識して精進したいと思いますが、うーん、もっと使いこなしたいですね。ただわがままを1500字も使って述べただけになってしまった。私ももっと色々な人の文章を読んで、好みを発掘していきたいです。検索機能が欲しい。終わります。

期末テスト

大学入学後2度目のテストシーズンがやってまいりました。絶賛テスト期間中です。ブログ書いてる場合じゃない。でもテスト期間にテスト勉強以外のことが捗るというのはほぼ例外なく誰にとってもあるあるで、私がこの記事書いてるのもそうですね。

ちょっと言い訳もしておきたいのですが、基本的に家で勉強する時は携帯は1階のリビングに置きっぱなしにして2階の自室にこもるようにしています。でもここ2日くらい誰も家にいない時間が長くて自室に携帯を持ち込んでしまったのです。何かあったら怖いから、なんですけど、ふつうに勉強の邪魔でした。魔が差して携帯触ると30分くらいすぐに経ちます。怖い。まあ触る自分が悪いんですけど。

で、テストの話に戻るんですけれども、なんかテスト前に勉強始めて、専門は難しいからせっせと進めて、一般教養は前日でいいや〜と思って本当に前日までやらない。というか前日になるまでやる気になれないという事態が発生しております。なんか、ふつーーーーの大学生してるなあという感じです。私の予定ではもっとこつこつ毎日自分のしたい勉強をして知識を増やして賢くなっているはずだったのですが、テスト前に焦って勉強する、みたいな量産型大学生になってしまって、なんだかなあと思っています。

どうして予定通りのことができなかったのでしょうか。私って実は勉強好きじゃないのかなと思ったり(でも勉強を始めると楽しい)、もう目指すものがなくなったのかなと思ったり、余計なことをたくさん考えてしまいます。が、原因はいまだにわかりません。さらにこれはツイートもしたんですけど、なんかあんまりテスト勉強って好きじゃないんですよね。テスト前にならないと勉強を始めないくせにこういうことを言うのもお門違いとわかっているけれど、でも好きじゃない気持ちはあります。どうして授業を受けるだけではいけないのか、なんのためにテストがあるのか、よくわからないまま単位欲しさに勉強している気がしてならないのです。テストがないと学生が勉強しないのはわかるけど、わざわざ一般教養で学んだことをアウトプットさせる必要はあるのかなあ。大学の仕組みは難しい。まあ、向こうからすれば一定の点数取れたら単位認定、としておけば楽ですよね。学生数膨大だし。

こういうことだらだら考えるからだめなんですよね反省はしています。でも思ってはいる。

テスト終わったからって毎日自分の勉強するかと言われれば多分しないけど、自分が知らない間に量産型になっているのは結構ショックでした。もうちょっとかっこいい大学生になりたい。

 

私にしては珍しく下書きがちょこちょこ溜まっているのでテスト終わったらもっとちゃんと更新したいな。とりあえず早く春休みになって欲しいです。

(non title)

時々、ふと自分が自分でないような気がする。ふわふわしていて、今にも幽体離脱しそう(したことないけど)、地に足つけてないなと思うことがある。そもそも地に足なんかつけたことがあるのか。逃げて逃げて逃げまくってきた19年間だからわからない。私はいつだって保守的で、挑戦なんかしたことがない、と思う。怖くて。私は人よりも多分、失敗を恐れているんだろうな。

自分とはなんなのか。物心がおありの皆さんなら一度ならず何千回何万回と思ったことがあると思うけど、その答えが生きているうちに見つかるのか、皆目見当がつきません。私ってなんなんだろう。ふわふわしていても私は私だし、目標ができてがんばる私も私だし、自分が自分でないような気がしても、自分のことに責任を持てるのは、持たなくてはいけないのは自分であって、だからしんどいし、楽しいことは楽しいのだろう。

地に足をつけて生きる人が羨ましい。私はそうやってこれからも生きていくんだろうな。たまに死にたくなるけど、人を羨み羨み続けて生きていくんだと思います。心がふわっと浮いていても、地に足つけていようと、どっちが良いとか悪いとか言えるのかはわからないけど。そういう一元的な問題ではないんだろうなあ。あー

まだまだ私は絶賛思春期で絶賛厨二病らしい。

あけましておめでとうございます。なんと平成30年です。びっくりだ。

昨年は色々ありました。けどまあ、とりあえずは2018年のことを書きたいと思います。2018年、珍しく目標を立てました。書きます。

 

・車を運転する

以前記事にしたこともありますが、私は昨年の夏休みに普通車の免許を取りました。がしかし、免許取得後あまりまともに運転をしていませんでした。つまりペーパードライバーまっしぐらだったわけですね。このままでは勘が鈍る、運転しなきゃとは思っていたのですが、結局3ヶ月くらい経ってしまって、運転への恐怖は募るばかりでした。そこで新年を迎えるにあたり、意を決してなんとかペーパードライバーにならないように時間のある日は車を運転することにしました。もちろん助手席にはベテランゴールド免許ドライバーである母を乗せています。一昨日と昨日と連続して運転をしたのですが、なんかギリギリって感じでした。バックでの駐車がめちゃめちゃに難しいしスピードを出すのはとても怖い。自宅の車庫入れで何回も擦りそうになって、昨日に至っては母と交代してしまいました。情けない。とりあえず車庫入れできるようになりたいです。

あと、昨日は走行中にぺろっと初心者マークが外れて風に吹き飛ばされてしまいました。これでは違反ドライバーになってしまい、夢のゴールド免許証になることができません。早く買いに行きたい。走行中は剥がれにくくて手では剥がしやすい初心者マーク。

 

・料理をする

大学生になったらやるぞと思ってはいたけどいざなってみるとまあやらなかったことです。授業が3限以降もある日のお弁当はずっと作っているのですが、作っているといってもご飯を炊いて(前の日の残りがあると炊きもしないけれど)、卵焼きを焼き、ウインナーを茹で、あとは冷凍食品をばんばん温めて詰めるといったことしかしていませんでした。すなわち料理にかんしてはまるきりしていない。母も料理をしてほしいみたいで(そりゃそうか)、生協で「a table kitchen(アターブルキッチンと読みます)」なるものを注文して、それを私にさせたりしていました。「a table kitchen」は、洗浄されて刻まれた野菜や、お肉、完成されたタレなどがその週のレシピとともにパックで送られてきて、レシピの順序通り炒めたり煮込んだりするだけでおいしい一品が完成するという優れものです。これのいいところは、レシピには材料の分量やタレの作り方も書いてあり、気に入ったらその材料を自分で購入してまた一から作れるというところです。伝わるかな〜〜説明がへたくそ。気になる方は調べてみてください。まあそれで何週か注文していたのでレシピはまあまあの数あります。一昨日はそのうちの気に入っていた料理を一から作ってみました。するとまあ時間のかかること。3人前の一品を作るだけで1時間15分もかかってしまいました。手際悪。そんなこんなで、ちゃんと料理ができるようになりたい!ので、週に1回くらいは何か作ってみようかなと思います。年末くらいには家族のご飯をそれなりに作れるようになりたい。頑張ります。

 

・多読

これはまあコンスタントにね。最近ちょっと私には難しい近代小説を読んでいて全然進まない。早く別のやつ読みたくなってきたけどこれ以上の積ん読は身を滅ぼしそうなのでゆっくりでも読んでからがいいなって思いながら2ヶ月ぐらい経ってます。やばい。読んだ本とその感想まとめみたいなのは年度末に書きたいなと思っています。私が檸檬を読み終わっているかどうか、乞うご期待です。 

 

・勉強

これもコンスタントに!テスト前に絶対に困るし、今年というか来年度にはTOEICも受けたいので、1日のうちに数秒でもいいから毎日勉強をしたい…………します。

 

後半2つはふわっとしてしまいましたが、2018年、ここに掲げた目標をきちんと達成させたいです。有言実行人間になるぞ。今年もよろしくお願いします。久しぶりに長文だ。以上です。

人による

「人による」って、最強で最低な言葉ですよね。それは時と場合によるけれど。

私を選ぶ人も少ないけど、人に相談された時にその返答として「まあ人によると思うけど、〜〜」とよく言ってしまいます。ていうかほとんど全部の回で言ってると思います。でも、森羅万象あらゆるできごとが「人による」なんていうことは当たり前なんですよね。相談相手が求めているのはそういう答えではなくて、もっと具体的に、自分のこうこうこういう状況では一般の人は、あるいはある程度状況を知っているあなた自身ならどう?という問いに対する答えなんですよね。「人による」なんて言われたら「そんなことしってんねん」ってなります。

 と同時に、相談を受けた側からすると、「人による」という保守的な言葉をとりあえず使っておけば、「確実なミスをする」ことはなくなります。私はかなり保身的な人間です。だからすぐに言っちゃうんですね〜。

マイナスなこと言っておいてあれなんですけど、私は別に「人による」を使うことに対してはそんなに悪いことではないかなと思っています。間違っているわけじゃないし。相談相手が色々と見失っていたら、「人による」ことも忘れているかもしれないし、私のアドバイスが上手いこと運ばなくても、まあそういう人もいるよねって返しやすくなります。ただ、「人によると思うけど、私は〜〜」の〜〜の部分の回答はちゃんと真摯にしようと努めています。そりゃもう、その人が求めているのはその部分なわけですから。「人による」しか言わないのは最低だけど、「人による」をきちんと前提として言うことは最強だと思います。

 

唐突に締めます。2018年は、もっと言葉を勉強したいし、うまく使えるようになりたいです。ていうかこの記事と前回の記事、最近思いついたネタやからもっと練ってからにすればよかった。書いちゃったから公開するんですけど。次の記事からもっと「それな」と思われる言い回しができるといいな〜〜。2018年もよろしくお願いします。

登下校はひとりでしたい

学校への登下校はひとりでしたい派です。この子と行く!帰る!と決めている友達がいるなら別なのですが、基本朝はひとりがいいし帰りもひとりがいいです。登下校中はウォークマンで音楽を聴きながらひとりの世界に入って歩いたり電車に乗ったりしているので、そこで声をかけられると、今じゃない、と思ってしまう。すごい自分勝手なんですけど。

これ実は高校の頃からそうで、本当に、なんでかはわからないけど、音楽は自分のタイミングで切りたいし、ひとりの世界の終了も自分で決めたい。声をかけられてひとりの世界から引きずり出されて、でもそれ以上にこの人とのあと数分の会話が好きだ!楽しい!と思える友人はごくわずかで、そうじゃない人には、別に嫌な顔はしないけど、んもーと勝手に思ってしまう。よくないな。でもどうしようもないんですね。

だから私はできるだけ自分の気分で登下校中の人に話しかけないようにしています。高校の時は、前にこの人は私に話しかけてきたから、今回は私も話しかけた方がいいかな、とか変な方向に気をつかっていたんですけど、もうあんまりそういうことはしないようにしています。ちょっとうつむき加減で、私はひとりの世界にいます、だからあなたもあと数分のひとりの世界を楽しんでね、的な雰囲気をなんとなく醸し出しながら歩いていったりします。これって一見嫌な奴なんですかね。。なんだかわからなくなってきた。

もちろんその日の授業終わりが一緒の友達がいて、駅まで一緒に歩こうとか、途中まで同じ電車に乗ろうとかは全然大丈夫なんですけど。ひとりで歩き出しているのに声をかけられるのが苦手なんですよね。

まあとにかく、ひとりの世界に入り出している時は自分の好きなように歩かせてほしいと思っているんだよっていう気持ち表明でした。おしまい。