劣等感に歯止めをかけろ

 

 私は基本的に自分のことが嫌いだ。私の8割くらいは劣等感で構成されていると言っていいだろう。

  似たような記事だけど何度も読んで何度も自分に共感した記事がある。

自己嫌悪のやつ - Re:無題

 

この自分の劣等感の原因は何だろうか。それは「過去の成功体験」ではないかという考えが浮上した。

 

 私が劣等感を抱くのは、私と同フィールドのことを行う人に対してである。たとえば、同年代の羽生結弦選手がフィギュアスケートで五輪二連覇を成し遂げた。この時私が抱く感想は、シンプルに「すごい。おめでとう」のみである。しかし、母から、知り合いの◯◯さんのお子さんが△△大学(わたしの大学よりランクが上)に合格したんやって、と聞かされた時に私が抱く感想は、「すごい。それに比べて私は何をやっているんだろう。もっと努力しておけばそこに入れたんじゃないの?」といらぬ感情がついてくる。

 羽生選手の話の場合、私が彼に劣等感を抱くことはない。私はスケートの世界にまったく足を踏み入れたことがないし(せいぜい遊びで数回滑った程度だ)、またスケートを習いたいと思ったことはない。だから悔しいとか私も頑張っておけば……みたいな気持ちにはならない。一方で学業の方はというと、小中学校の時に成功していたことで、高校に入って挫折して精神が屈曲してしまったために未だに劣等感を抱かざるを得なくなっているのだ。

 

 どうしてもっと早くに気がつかなかったのだろうか。私はなんの取り柄もない凡人だったということに、あの頃どうして気づかなかったのか。 思えば中学生まで学業で困ったことはなかった。それどころか周りに頭がいいね、賢いねと褒められたし、塾のテストでもいつも成績は上位だった。そしてその頃の私は世間の広さに気づかず、あろうことか「自分はすごい」とどこかで思っていたのだ。

 この「成功体験」が私を陥れた。過去の成功体験は私にとっては邪魔なものだ。いくつかの成功によって酔いしれた自分が悪いのだが、頑張りが認められ、すごいと褒めそやされた過去があるから、今苦闘しなければならない。この苦しみは高校入学後すぐに味わうこととなる。

 私は府内でもトップに数えられるであろう公立の進学校に入学した。そしてそこで私の矜持は打ち砕かれた。私のみていた世間は狭かった。私は決してすごくなかった。ふつうじゃないか。でも、それを認めてしまえばおしまいだと思った。未熟だった。恥ずかしい話だが、振り返れば私は学業の話になるといつも虚勢を張っていたように思う。そしてそれを言い訳に、上を目指すことを諦めてしまった。それが受験期から大学入学後辛くなった大きな原因の1つである。私の精神年齢は高校1年生から変わっていない、と思う。

 私の劣等感やコンプレックスは学業に限らないが、やはり一番辛かったのは学業面でのものかなと思う。一番長きにわたって成功し、かつ努力したものだから大きい。ここまで悩むことになるくらいなら高校時代もっと熱を持って勉学に励めばよかったのだが、周りに圧倒されすぎて打ちのめされたのだ。そして怠けた。努力を怠った。それだけの話だ。だから私は私のことが一番嫌いなのである。

 

 このような話をすると、周りと比べるからだめなんだ、もっと自信を持って、充分あなたはすごいから、と言われることがある。私もそう思う。周りと比べるからしんどいのだ。しかし一度周りと比べて成功し優位に立っていたあの頃があるから、未だに自分を絶対評価できずにいる。本当に情けない。この歳になってまだ自分をきちんと見つめきれていない。自分がなんなのかわからないのだ。自分の何がすごいか、どこに自信が持てるか、そんなものが自分の中にあるのか。

 私は周りの言葉を信じて、自分の評価に繋げてきた。それは間違ったことではないかもしれないけど、言い換えれば自分のことを信じていないということだ。

 西加奈子さんの『サラバ!』を読んだ。私も自分の中に信じられる絶対的なものを見つけたい。