自己嫌悪のやつ

自己嫌悪のやつに陥ってます。波風です。この記事ひたすらうだうだしてます。

自己嫌悪のやつとは、要するに自分大嫌い嫌い嫌い期みたいなやつですね。私にとってはなんら珍しいやつではないし、もしかしたら皆さんの中にもそういう期間がくる人がいるかもしれないのですが、今、なう、それ、というかんじです。19歳の誕生日を迎えた頃に、ツイッターで高らかに19歳の目標は自分を好きになることですと宣言してしまったのですが、まったく達成されていない。つらい。まあその目標には続きがあって、そのための努力を惜しまないということだったのですが、惜しんでいる部分もあるのではないでしょうか、そりゃ嫌いなままになりますよね、という話なんですけれども。でも、自分のことを好きになるための努力とはなんなのか。私の場合は多分、何事にも手を抜かないで最後まできっちりやる、ということです。手を抜かないで、ときっちり、の基準はまあまあ厳しめなので、だからまったく達成されないんですかね。でもまだまだだめです。じゃあやれよ、と言われれば本当にその通りです。やれよ私。

で、どうして今自己嫌悪のやつになってるかというのは自分の中ではある程度はっきりしてて、でも結構というか全然どうしようもないことなので時が過ぎるのを待つばかりです。端的にいうと何をやっても1番になれない自分のことがむちゃくちゃ嫌いなんですよね。そりゃだいたいの人間そうかとは思うんですけど、どこの界隈でも1番になれないのは私にとって結構苦痛で、だからどうってわけではないけど、そういうことをまざまざと見せつけられるとウジウジしてこの魔の期間に突入してしまうのです。この場合の1番、というのは相対的に周りより秀でる、という意味もあるけど、他人とは違う良いところを持つという意味でもあります。(周りより秀でて1番ということはほとんど経験したことがありません。そこまで傲慢ではありません。)他人の良いところは見つけられるのに、自分の良いところはわからないし、悪いところばかり見てしまう。てなことをぽろっと人に話すと、「波風さんはこういうところがいいよ」とか励ましてもらったりするんですけど、そういうことではないと思ってしまうし、また人に気を使わせた弱い人間…ゴミ…と思ってしまうので、その励ましは嬉しいしありがたいけど、結構双方に微妙な感情を抱かせてしまうと思うんですね。なんか、他人との距離の取り方が下手というか、どこまで頼っていいのかあんまりわかってないんですよね。迷惑かけてるんじゃないか、嫌われるんじゃないかと思って、頼るタイミングを見失ってしまうし、頼り方の加減がわからない。

 でも、私の性質でちょっと救われることもあって、まあその性質というのが、だいたいのことは時間が解決してくれると考えてる部分があるということです。この考え方って場合によっては最低なんですけど、嫌なことも時間が薄めてくれるので、根に持つことがないんですよ。だから今しんどくても、時間がたったら今のことは忘れてる。多分根に持つタイプだったらもっとヤバかった。もう泣いてる、あの時もこの時も…と。でも嫌なことがフラッシュバックすることがないからちょっとは楽ですね。ベースはネガティヴ思考にしても、過ぎれば忘れてるし。まあこういうこと書くとまた考え方が変わりそうで怖いけど(笑)

ネガティヴでいいことはあんまりない。基本的にしんどい。しんどいアピールをすることは好きじゃないけど、今みたいに落ち込む期間になるとうわーつらいーとなる。誰にもどうしようもないんですけど。できることが少ないと悲しいことばかりですね。他人の良いところばっかりに目がいって、私なんか、私なんか…ってなる癖が直らない。過剰な比較意識がいけないとわかってるけど、なにぶん未熟な人間なので、ほとんどの場合、いまだに他人と比べることでしか自分を評価することができません。大学生にもなって。心の貧しい人間……。

早く精神的に大人になりたいですね。思ってるだけじゃ無理だとは思うけど、実年齢相応の精神年齢になりたい。まあ、とりあえずやることきっちり納得するまでやる、ですね。ちょっと今しか書けないなと思ったので勢いでだらだら書きました。ごめんなさい。おわり!

恥を知れ!しかるのち死ね!

夜は短し歩けよ乙女を読みました。ちょっと、タイトルとリンクしてる部分が少ないようにも思えましたが、なんというかバズってた割に可もなく不可もない本だと感じました。結構、いつ面白くなるのかな、いつ面白くなるのかな、がずっと続いて、私は最後の数ページは好きだったんですけど、それにしたってちょっとパンチが足りないかな〜みたいな。多分、私が京都の大学に通っていたならもうちょっと面白かったのではなかろうかと思っています。バズってたのは京都の若者の影響なのではないかとすら思っています。あと、思ってたよりファンタジー要素があってびっくりしました。フィクションではあるけど現実でありえないようなことは起きない感じで進んでいくと思ってたので心底驚きました。鯉が空飛んだり、人間が宙に浮いたり。不可思議。うーん、やっぱり自分の目で確かめないとわからないことって多いですね。ここのところ買った小説2連続で当たりが出なかったのはちょっと残念ですな。。

あ、夜つながりでいえば、夜のピクニックはすごく好きでした。こちらの方が夜に歩いてました。いや別に夜に歩く本が好きなわけではないですけど。なんか、すごく大きな事件があるとかそういう感じではないけれど、高校生の微妙な感情というか、そういうのが嫌味なく表現されていて、どんどん読みたくなる本でした。あと個人的には、主人公たちが通っている高校が自分の通っている高校に似ているから話に入っていきやすかったです。これは今後も何回も読みたいなと思わされました。私は好き。

みなさんのおすすめの小説も聞いてみたいです。近代文学も好きです。

一人称について

皆さまそれぞれ自分を呼称する時の一人称をお持ちだろう。「私」「僕」「俺」などが代表的な一人称だと思う。自らのファーストネームを一人称にする人もいるだろうし、SNSなんかで、「ワイ」「ワシ」と言う人もいる。

ちなみに私はほとんどの場合「私」であり、両親と祖父母に対しては恥ずかしながらファーストネームである。弟に対しては「お姉ちゃん」と言う。他人に聞かれるとちょっと恥ずかしい感じだ。小学校ぐらいから中学2年生まではもっとバリエーションがあって、両親と祖父母、弟に対しては同じなのだが、先生や目上の人には「私」、同級生には「ウチ」、心の中で話すときは「あたし」といった感じだった。今となっては結構鳥肌が立つような一人称で、小学生の時に書いていた私以外に死ぬまで絶対公開しないと決めたクソDQNメンヘラ痛い系日記なんか、見返すとこれは本当に私なのか?となることもある。内容もさることながら、昔の一人称がそう感じさせる原因になっているとさえ言える。一人称で自分のことを自分でカテゴライズしている感じ。それは一人称の使い分けが減った今でもそうで、無意識下で、「この人にはこの一人称でいこう」と決めている気がする。だいたいは「私」なのだけれど。そういうことができるようになったのはいつ頃からなんだろう。自分と他者をはっきりと区別していないと一人称を自称することは無理なはずで。しかも無意識下であれ、使い分けるとなると、その対象者との関係も自分の中ではっきりわかっているはずで、だから一人称を変えるのであって。そしてもし、カテゴリーで使い分けているのなら、今後も変わっていくのかもしれない。子供ができたら自分のことは子供に向かって「お母さん」と言うかもしれないし、近所の子供達には「おばちゃん」と言うかもしれない。孫ができたら「おばあちゃん」になるのかも。それって自然にできることなのかな。今となってはわからないですね。

ちなみに私が同級生に対しても「ウチ」と言わなくなったのは、この歳にしてギャルみたいな一人称は恥ずかしいと思ったのと、心の中で(頭の中で?)話す(考える?)時にはずっと「私」であったこととのギャップがあったからかな。これは意識的に変えました。切り替え期間には自分にも他人にも結構違和感があった記憶があるなあ。

家族ぐるみでお付き合いするような友達がいて、家に招いたり、みんなでご飯に行こうとかなったときは、無意識で話す人によって一人称を変えてしまう。これは多分聞いてる人にとってすごい違和感があるだろうし、統一した方がいいのかなとも思う、けどなかなか難しいものがある。その会が終わるとちょっと反省してしまう。使い分けパターンの皆さんはいったいどうして乗り切っているのだろう。結構な疑問である。

また疑問だけつらつら書くやつになってしまった。反省。

 

そういえば前の記事、下書きを修正して公開したはずだったのに、反映されてなくて悲しかった。今はマイナーチェンジしています。どうでもいいかもやけど。

あと、二つ前の記事で母親への誕生日プレゼントをどうしようといっていたのですが、先日2人で買い物に行った時に、スヌーピーのイニシャルマグ(母親は大のスヌーピー好きである)を買うことでことなきを得ました。来年はもうちょっと値の張るものをあげたいなあ。

 

以上です!

 

君の膵臓を別に食べなくてよかった話

 

読書をたくさんしようと決めたときに、まずはやっぱり流行ってる作品から読もうと思ったので、当面の目標として先日映画も公開された「君の膵臓を食べたい」を読むぞ!という気になってて、おととい読了致しました。ツイッターのタイムラインなんかで、みんながこぞって泣いた泣いたというので、私も清らかな気持ちで泣いちゃおうと思って、わざわざ本作を読む前に、ちょっともやもやした気分になろうと湊かなえさんの「リバース」を読んで、感動に備えていました(面白かったです)。言い方はあれですけど、なんと贅沢にもミステリーを踏み台にしていたのですね。

それでまあ例に漏れず前置きが長いんですけど、「君の膵臓を食べたい」について僭越ながら述べていきたいと思います。もしかするとネタバレになってしまうので、万が一読もうと思ってる方がいましたらご退室ください。

 

 

率直に言って私はこの作品を好きにはなれませんでした。別に泣かなかったし。最初の方で一気に冷めちゃって冷ややかな目で読んでしまいました。まず、なんていうか文調がキツイ。一人称視点で書かれてるんですけど、まあキツイ。完全にライトノベル。言い回しがめっちゃまどろっこしい。ライトノベルライトノベルで好きだけど、この本って小説じゃなかったの?あれ?みたいな気持ちになって、思ってたんと違う…となりました。なんてこった。この作品のライトノベル感は文体だけではなくて、主人公が大の小説好きなのに、人からの好意的な感情についてはめちゃくちゃ鈍感。もう面白くないを通り越して、イライラしました。あと登場人物が主人公のことを【地味なクラスメイト】とか【仲良し】というふうに名前を明らかにせず呼んでいるのですけど、これも最初の方はしんどくて、名前だしてくれ…と思いました。作者の意図があるのはわかるけど、慣れるまで時間がかかったし、巧く効果が出せているのかも私にはわかりませんでした…。なんでや…。

あとこれはかなり結末に影響のあるネタバレですけど、タイトルから察しがつくようにヒロインは膵臓の病気で余命いくばくもありません。そしてまあヒロインは最終的には死んでしまうんですけど、それは膵臓の病が原因ではなくて。衝撃的ではあったけど、いやここまでやってきて病の悪化じゃないんかよ、みたいな。そこはありきたりでよかった気が…。読了後、リバースよりもやもやしてしまった。

 

同世代の知り合いの子数人が感動したツイートをしてたけど、私は感動することができませんでした。だから私がおかしいのか?と思ってしまったけど、思想メモにもあったように、別に感じ方なんて人それぞれだし、流行っているからってそれが私にとって面白いとは限らない、と感じることができました。そういう意味では勉強になったし、本を買うときはちゃんと冒頭を読んでからにしようと思いました。

あとこういうふうにしてブログに感想を残すことをこれからも少しずつしようかなと思っています。書いてみて思ったけど、気に入らなかった作品は嫌なところが目につくからいっぱい書いてしまいそう。よかったと思う作品は「よかった」しか感想が残せないかもしれない。良い作品を褒める語彙を増やしたいと思いました。あくまで私の感じ方ですので、そのへんはご容赦ください。

 

それでは。

癖と疑問

入学して初めてのテストも残すところあと2日となりました。7月にひとつも記事を書いていないのはやばいと思い、書いている次第であります。バカ暑いですね夏。

さて、まあこの1ヶ月何を考えていたかというと、自分の癖のことですかね。私は喋る時の癖として、逆接をやたらに使うというのがあることに気づきました。皆さんもたくさん使うとは思うんですけど(←逆接)、なんだか自分は異様に使っているような気がして怖くなってきたんですね。逆接の女。あと譲歩もすごくする。〇〇は△△としても、やっぱり〜〜みたいなこと言いがち。多分これは自己の保身に関して過敏になってるからではないかと思い始めました。できるだけ傷つきたくないしできるだけ傷つけたくない。あまりにも保守的。思えば私は自分で言うのもなんですけど、石橋を叩いて叩いて叩いて渡る(場合によっては渡らない)タイプなので、性格が言動に現れていると思えば、ああそうかとなりますね。

あともうひとつ、これは癖ではないけど、私は述語のボキャブラリーが貧弱すぎることにも気づきました。今更って感じなんですけど、文をたくさん書いていると、途中はいい感じなのに最後の締めの述語でいつも困ってしまう。一文を長く書く癖があるからそれが祟っているという説もあるんですけど、なんせ締めで詰まる。詰まるし、結局ものすごくあほみたいな締めくくりになる。こういう言葉は本当にたくさんの文章から学ぶべきなんだろうなと思う。日本語は美しいけどやっぱり難しい。

 

そして疑問の方なんですけど、あの、はてなスターってどういう時に押せばいいんですかね。既読みたいな意味なのか、ツイッターでいういいねみたいな意味なのか、数はどういう気持ちで何個押せばいいのか、わからない……というのがブログ開設以来の疑問。でもなんかなんとなく押してもらえると嬉しいから、いいねみたいなものなんでしょうか。うーむ

あとこれはさっき思いついた疑問ですが、明日は母親の誕生日であります。記憶を遡ってみても、大したプレゼントをしたことがなくて、皆さんどうしているのだろうという疑問です。親や兄弟にプレゼントする人って素敵じゃないですか。大学生になったことだし、何かあげるのもいいなと思ったけど、アイデアのストックがてんでない。これもうーむと思ってることのひとつです。うーむ

 

以上!です。閲覧ありがとうございました。夏休みはもっと高頻度で更新できるようにしようと思います💪

それでは。

ニガイ、苦い

 

第二外国語、通称二外。大学に入って少し楽しみにしていた新しい言語学習。私はドイツ語を選択している。ドイツ語をとったのは、大好きなアニメ新世紀エヴァンゲリオン惣流アスカラングレーがドイツ語を話しているからという理由が大きいと思う(ちなみに入学直後に渡された新修外国語のパンフレットにもアスカが話していると書いていた。どんなパンフレットやねん)。

しかし、ドイツ語というのは少しやばい。簡単だと聞いていたけれど、まあまあやばい。使用文字はアルファベット+α(といってもしれてる)、発音は基本的にローマ字読みだからそれほど困らないんですけど、文法が結構ややこしい。

まず、動詞の活用が6つある。これは人称によって変わる。そして動詞は文の2番目にこなくてはならないという規則がある。それと、ヨーロッパの言語にはよくあるみたいで結構有名だと思いますが、名詞に男性、女性、中性、複数形の4つのグループがある。この概念は初めてで、名詞の意味のイメージから見分けられる、なんてものではない。たとえば、フォーク、スプーン、ナイフでは全部性別が違う。フォークはとげとげしているし男性?スプーンは丸っぽいし女性?ナイフもとがってるし男性かな?なんて考えていると、実はまったく違って、フォークは女性名詞、スプーンは男性名詞、ナイフは中性名詞なのだそうだ。もうそう決まっているものだからしかたない、理解の仕方はそんなもんらしい。複数形も、単数形にsをつけるだけではなくて、作り方が5つくらいある(何個だっけ)。また、定冠詞(類)と不定冠詞(類)があって、これもまた変化する。直後にくる名詞の性によって4つ、格によって4つの16パターンだ。格というのは、日本語の「は」「の」「に」「を」のことだ。前置詞にも格支配があって、前置詞ごとに後ろにくる名詞の格が決まっているのだ。きわめつけは形容詞で、形容詞+名詞で16パターン、定冠詞(類)+形容詞+名詞で16パターン、不定冠詞(類)+形容詞+名詞で16パターンの格変化がある。もちろんそれぞれ変化には規則性があるのだが、それを覚えるのがとても大変だ。例外もあったりするしで頭がパンクしてしまいそうである。

以前ドイツ語の授業中に先生が、英語が1番簡単な言語だと言っていたけど、すこしわかる気がした。ただ、私は英語がズタボロにダメなので、同時にこの先やっていけんのかよと思った。

では、私たちの、というかこの記事を読んでくださっている方のほとんどが普段話している日本語はどうか。よく考えてみれば、ドイツ語なんか比にならないくらい激ヤバの言語である。まず、使用文字は漢字、ひらがな、カタカナの3つある。発音は母音の数が5つしかないからそんなに難しくないのかな?そこはわからないですごめんなさい。ただイントネーションによって言葉の意味が変わってくるからそこは難しいのかも。動詞の活用は未然、連用、終止、連体、仮定、命令の6つ。それに五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用があり、更に音便が3つある。形容詞だけでなく形容動詞という概念もあるし、それにもそれぞれ活用がある。また、常体と敬体があり、使い分け方がドイツ語とは違う(ドイツ語にも一部敬体がある)。助動詞や助詞も考え出すと、解説するのがおっくうになってくるぐらいだ。そのくらいややこしい文法を、操っている(時には間違っているけれど)と考えると自分のことが恐ろしくなってきた。こわっ。日本語喋ったり書いたりしてる自分、こわっ。

しかし、あたりまえのことだが言語の難しさというのは相対的なものであって、絶対的には決められない。どの言語が難しいのかなんて、母語によるだろうし、人にもよると思う。

誰しも一度は、「日本語は世界で一番難しい言語だ」というのを聞いたことがあると思う。何かの文章で、日本語を母語とする人はこの「世界で一番難しい言語だ」というフレーズに自惚れているというのを読んだことがある。日本人が思うほど日本語は習得難でもないらしい。たしかに、外国の方はなぜか日本語の習得が早いように感じる。例えばスポーツ界を見ていてそう思う。モンゴル力士や、プロ野球の助っ人外国人などだ。彼らは助詞なんかもちゃんと使えていることが往往にしてあると思う。私はこの、日本人は日本語が難しいということに自惚れているという文章を読んだ時すごく衝撃を受けた。その通りやないか、、と思ってしまったのである。詳しい内容は忘れてしまったので、いずれまたあの評論文を発見して読みたいと思うほど、目からウロコだった。言葉って面白いなあ。

薄々気づいている方もいらっしゃるとは思うが、こちら完全にドイツ語文法の整理のための記事。そして日本語よりましだと言い聞かせている。でもドイツ語より日本語の方が難しいというアレはどこにもないよねってことですな。結局どっちもそれなりに難しい、この記事一つとったって、常体と敬体、口語が入り混じりに混じっているしな〜あと東北とか北海道とか沖縄とかの方言だって全然わからんし。ドイツ語にも方言があって、先生でも聞き取れないドイツ語があるらしい。言葉って面白いなあ(2回目)

そんなこんなで、終わります。見苦しい文章ですみません。閲覧ありがとうございました〜

大学のこと

私は勉強することがそこそこ好きだった。単純に知識が増えるのは楽しいし、何よりやればやるだけ伸びる。と、中学3年生まではそう思ってたんです。そして勉強すればきちんと点数に出る。みんなにすごいと褒められる。そうやって自尊心を保っていたかっただけかもしれません。世の中には天才と呼ばれる人がいて、でもそれはずっとその通りだと思ってました。今も思っています。天才というか、学習とその発展の才能に先天的に長けている人はいると思います(後天的にしろ、幼い頃に何かに恵まれたのだろうと思っている)。そして自分がそういう人間でないことも、小学生くらいの頃からわかっていました。だから、私は努力しなくちゃいけない。真面目に、丁寧に、やっていかなくちゃいけない。中学校入学前、チャレンジからくるダイレクトメールに入っていたおなじみの漫画の小冊子のストーリーを真に受けてかなりびびっていて、めちゃめちゃに勉強した結果、自分で言うのもあれなんですけど中学校3年間はかなり優秀な成績でして、見事に大阪でも指折りの進学校と名高い某公立高校に入学しました。私の努力は一応通用するんだ…これはもはや不断の努力は私の座右の銘だとうかうか浮かれていたわけなんですよ。ところがどっこい、進学校なだけあって周りの同級生はめっちゃ賢いし、私の何倍も努力している人が当たり前にいて、そしていわゆる天才という人たちもザラにいました。努力だけでは天才+同量以上の努力に勝てないの公式を提唱しつつまだこの程度の努力で通用すると思っていた私は完全にスタートダッシュ失敗組であり、最初のテスト以来3年間あまり成績が変わらないという凡人生徒となってしまったのです。いつかもっと努力していれば間に合ったかもしれないのに、ヘラヘラと過ごしていたわけなんですね。愚か。まあそれで3年になって大学受験について色々と考えるようになってかなり後悔したものです。

今の大学が嫌いなわけじゃない。でもベストかどうかわからない。本当はどこかでちゃんとエンジンをかけていたら国立の大学に行けたんじゃない?周りの子ももっと上いけるでしょって言ってくれたこともある。どうして頑張らなかったんだろう?私のレベルに合っているとか、家から近いとか、そうやって無理やりに今の大学にポジティブな意見を述べておいて、本当は現役で確実にいけそうだからって理由で選んだんじゃないの?浪人する勇気がなかっただけじゃないの?と、みみっちいことにかなり深刻に悩んでいました。周りで国立大学に進学した先輩や同期に引け目を感じるような人間になってしまいました。学歴コンプレックスというやつですね。本当にみみっちい。わかってるけど自己嫌悪が止まらないんですよね。どうして挑戦しなかったのだろうという後悔みたいな。こじらせた。こじらせたけど、もし国立の大学に合格して通っていたらどうなっているんだろう。また卑下して卑下して自己嫌悪する日々を繰り返していたのではないか。結局今の大学で学びという観点から言えばそこそこの滑り出しをしているんじゃないの?と延々と考えている。そして今までその時々で何も深く考えてこなかったことに気づいて、うんざりする。まあそれはそれであまりしんどくない生き方だったし、若さゆえにまだ許されたかなと思うけど、最近自分について考える時間が多くなって、今までの私って…ってなってる。

話が逸れている。まあそれで、なんやかんや大学にはちゃんと通っていまして、おもろないなと思うこともめっちゃあるし、何のために行ってるんやろうとも考えてしまうけど、不安定ながらも耐えています。本当に入学当初は友達もいなくてまじでつらくて胃袋が縮んでましたが、やっと安定してきたかなという感じです。大学に入って初めて気づいたけど、私って心を開くのがめちゃくちゃ遅いみたい。出会ってから別れるまでずっと喋っていられるような気楽で愉快な友達ができるまではかなり時間がかかりそう。今はとりあえず気の合いそうな子とはたくさん話すようにして、勉学に励もうと思っています。自分のことを見つめられるようにもなったし、それなりに将来のことも考えよう。

なんだかすごくまとまりのない記事になってしまった。カオス。カオスだから終わり!